なぜか元気になるブログ

人生の瀕死状態から何度も復活、ついには起業を目指す女子の奮闘記

とにかく何でもやってみる!経験は人生の宝なりけり

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んでくださり、本当に有難うございます。本日でブログ開始から10日が経ちました。
毎日、色々なことがあり「今日は休みたいな、、、」
と正直思ってしまうこともありますが、可能な限り
日々更新していきたいと思いますので応援宜しくお願いします!


前回は、一目惚れした病院に二度目の挑戦でやっとこさ採用となり、晴れて社会人の仲間入りをしたお話でした。元々、教師になりたかった私ですが、この時は
もう大学に入ることなどないだろうと諦めていましたし、ましてや今まさにですが大学院に通うチャンスが訪れるなど夢にも思っていませんでした。
ですので、一度や二度の失敗、挫折で腐る必要は
ありません☺どこから夢の実現につながる道がひらかれるか分からないからです!(と自分にいつも強くいい聞かせています(笑))


どうしても働きたかった職場に就職した私は、絶対に見返してやる!!と思い、やってみないかと言われたものには何にでも挑戦した。資格試験、学会の論文発表、電話応対コンクール、互助会会長、忘年会の余興、忘年会の司会、上司のカラオケの相手などなど
後半部分は特に率先してやっていた訳ですが(笑)
そのお陰で、当初私に向かって「○○君は、なんでも出来るけど、君はなー、無理だろーな」といい放ったドクターに「☆☆君、俺が見る目がなかった。君は本当に素晴らしい能力の持ち主だ」と涙ながらに言ってもらった時は本当に嬉しくて私も一緒に泣いた。


様々な経験の中でも、25歳の時に行った互助会の会長は起業を目指す自分にとっては、小さな小さな会社の社長になったようで、とても楽しく貴重な経験となった。年間1000万程の会費を使い、色々な行事を企画、実行していった。役員は私を入れて8人程。最初はどのように動かしていけば良いか迷ったが、前年に会計担当をしており、お金の流れを把握していたことが非常に役に立った。更に役員それぞれが得意分野を持っていたので、それを生かしながら、お互いが存在価値を認め合えるチーム作りが出来たことが良い経験であった。今でも役員の皆に感謝、感謝である。


互助会での働き等も認められ、私は入職6年目、26歳の時に主任になった。この時は波に乗りまくっていて
毎日本当に楽しかったのだが、、、
主任になってからの日々が辛かったこと
自分自身の弱さと毎日向き合わされ、まだ若かった私は人生の長い長いトンネルに入ってしまったのである。