なぜか元気になるブログ

人生の瀕死状態から何度も復活、ついには起業を目指す女子の奮闘記

面接官に「また、来たの💧」と言われようが何言われようが諦めない女!

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んでくださり、本当に有難うございます!皆さんのお陰で、ここまで毎日記事を更新することが出来ています。奇跡だ✨引き続き、頑張りますので宜しくお願いします!

前回は、晴れて医療事務の資格を取得した私が、就職活動に悪戦苦闘するお話でした。
ある病院に一目惚れした私は、熱い想いのもと採用試験を受けるも最終面接で不合格💧
傷心の身で、マクドナルドでのバイト生活を続けておりました。落ちまくり、傷付きまくりの人生、ぐれてやろうかと思った矢先、またしても私の元に女神降臨✨バイト仲間のおばさまが「また、あの病院募集してるよ~」と教えてくれたのです。
神様は私を見捨てては、いなかった!

普通の常識的な方であれば「一度落ちたし、さすがに二度もね~」と受けることを躊躇するのだろうが、私は違った!恥もプライドもかなぐり捨てて、落ちた病院をまた受けたのである💣
私には、その病院以外で働くことは考えられなかった。絶対に何があろうとそこで働きたいと思ったのだ。超絶、直感的に‼

そして、面接日、面接官が開口一番「また、いらっしゃったんですね(失笑)」、、、病院側としては大迷惑な話である。まず、そういう人は、いない。ある意味、伝説の女である。
私は面接で熱い想いを切々と語った。その結果、、、


なんと、なんと奇跡の合格‼というか、私のしつこさに負けたのであろう。私は誓った!
絶対に頑張って見返してやる!採用して良かったと思ってもらいたいと。

そこから私のひたすらチャレンジの人生が始まった🏃💨

マックで必死にバイトする私のもとに、またしても女神降臨!

皆さん、こんにちは☆★
今日もブログを読んで下さり、本当に有難うございます!昨日はお陰様で過去最高のアクセス数を記録することが出来ました!嬉しい反面、このブログを通して当初の目的通り、皆さんに元気や希望を少しでもお裾分け出来ているのだろうかと若干不安になりました💧

その為、今回は少し横道にそれ気味のブログの内容を軌道修正し、人生諦めなければ本当に願いは叶うのか?について私の経験談も交え、お伝えしたいと思います。このブログでは、私だけが一方的にお伝えするのではなく、皆さんが同様に経験されたことや実際
諦めずに頑張っていることなどコメントをお待ちしています!そちらもどうぞ宜しくお願いします🎵

教習所に散々余分なお金を支払い、何とか運転免許を
手にいれた私は、医療事務の勉強をしながら再びバイトを始めた。スーパーでビールの試飲をすすめ、購入してもらうお仕事、ティッシュ配り等、全て初めての経験で本来なら悲壮感漂うこともあるのだろうが、なぜか私は何でも楽しいと思えた。この経験が後々絶対役に立つとも思えた。ポジティブ過ぎる💧

そんな私に高校時代の友達が一緒にマクドナルドでバイトしよう!と誘ってきた。好奇心の固まりだった私は、すぐに🆗し、二人でバイトを始めた。土日は本当に忙しく、まさに戦場!!足元にはポテトが散乱している始末💧しかし、バイトの先輩、おばさま、いいえ、お姉さま方は皆、いい人ばかりだった。先輩達は皆、大学生✨いいなー、私もあんな風になりたかったな。本当に羨ましかった。しかし、そんなことは言ってられない!頑張って、医療事務の資格をとった。

次は就職先探し、当時はネットでハローワークの求人が見られる便利な時代ではなく、アナログな私は地方新聞の求人欄から就職先を探した。良さそうな病院に
応募し、二件目で運命の病院に出会った!受付の対応、スタッフの機敏さ、雰囲気「ここしかない!」
「絶対にここで働きたい!」そう思った。一次試験合格、二次面接に残った。手応えは何となくあった。
期待に胸踊らせ数日後、まさかの不採用、、、
神様はどこまでひどいんだと思った。頑張っても報われない。もう頑張りたくないと思った。

就職出来ない限り、バイト生活は続く。とぼとぼマックに行き、虚無感にひたりながらバイトを続けること数ヶ月、、、
ある日、一緒に働くおばさんが私に満面の笑みで新聞を見せてきた!
「また、あの病院募集してるよ!!」
マックで働く私のもとに、またしても女神が舞い降りた✨✨

まずは運転免許、教習所でもやらかす女!

皆さん、こんにちは☆★
今日もブログを読んで下さり、本当に有難うございます!風邪もだいぶ良くなりましたが、今日は病み上がりの体にムチ打って、これから大学院の講義に向かいます🚃💨とはいえ、もうすでに遅刻確定💧
でも参加することに意義がある!教授にやる気をみせねば!と自己中な正当化をし自分自身を奮い立たせています。

前回は、夢を諦めきれない私が、バイトをしながら自宅浪人するも願いも虚しく二度目の大学受験に失敗するという悲しいお話でした。
今日は、その後、ちょっぴり天然の私がいたる所でやらかしまくるお話です。それでは、はじまりはじまりー。

二度目の大学受験失敗。
もう、だめだー                 流石の私もそう思った。しかし、
両親が黙って家に置いてくれる訳もなく、、、
仕方なしに私は身の振り方をあれこれ考えた。
教師の夢は完全に絶たれた、私何すればいいんだろう。何もしたくない、、、でもそれは許されない。
うだうだしている私の脳裏にある場面が浮かんだ。
白衣を着て華麗に病院の受付をしていた隣のお家のお姉さん✨「あれしかない‼」超ミーハーな私は見た感じだけで次の仕事を決めた。
医療事務の資格を取らねば!今のようにネット申し込みが出来なかった時代、思い立ったら即行動の私は
早速電話で医療事務講座に申し込んだ。

就職するには通勤の為、運転免許が必要。医療事務の勉強をしながら、教習所に通うことになった。
ここでまたもや私の謎のプライドが大誤算を招くこととなる!
最近はオートマ車が非常に多くなったが、私が教習所に通っていた頃はマニュアル車も結構走っており、
マニュアルで免許を取るか、オートマ限定で免許を取るか選択が出来た。自分の能力を省みない私は、そこでなぜかより高度なマニュアル免許を選択してしまった。本当にバカ野郎である。

得意分野と苦手分野の出来加減が極端な私は
教習所内での走行練習で、あり得ないことを連発してしまった。とにかく馴れない運転に焦りまくり
エンジンがかかっている車にまたエンジンをかけようとする始末。情けない、、、教官も呆れ顔💧
クランクでは脱輪しまくり。今じゃ心臓に毛が生えてるんじゃないかと言われるまでになった私にもこんな時代があったのだ。

そんなこんなあったが、乗り越ししまくりで両親に文句を言われながらも、何とか無事に運転免許を取得!
あとは医療事務の取得と就職先探し。

しかしながら、トントン拍子に行かないのが
私の人生である(笑)
まあ、全て上手くいってしまったら今の私は存在しないのだか

そして、二度目の大学受験

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んで下さり本当に有難うございます!
最近、雨の日が多く、寒暖差も激しい為に風邪が流行していますね。私も早速、流行にのってしまいました。風邪薬を飲むと恐ろしいほど眠ってしまい、危うく今日のブログの更新が出来なくなるところでした💧
皆さんも体調を崩さないよう、気を付けて下さいね!

前回は大学受験に失敗した私が、どうしても教師になるという夢を諦めきれず、バイトをしながら自宅浪人という選択をしたお話でした。今回は、バイトをしたことで出会った素敵な人達と二回目の大学受験の結末
のお話です!それでは、はじまりはじまりー

スーパーのレジ打ちのバイトを始めた私は、18歳という年齢もあり、同じ職場のおじさん、おばさん達に
とても可愛がってもらった。野菜担当のおじさん、鮮魚担当のお兄さん、精肉担当のおばさん、レジ担当のお姉さま方、皆がバイトしながら自宅浪人している
私に興味をもち、大変だねー、頑張ってね!と声をかけてくれた。
大学受験に向けてなりふり構わない私は、薪を背負いながら本を読む二宮尊徳(金次郎)風←今時の人は知らないかも?にレジ打ちしながら、合間に英単語を勉強していた(笑)

そんなある日、自分にとって衝撃的なことが起きた
!事務から私に外線が入っていると声が掛かった。
「何だろう、親が具合悪くなったのかな!」不安な気持ちで電話に出ると、若い男性の声、誠実そうではあるが「もしもし、○○さんですか?買い物の時に見かけて、もし良ければ一度会ってもらえませんか?」ウブな私はこわくて大泣きした💦💦大泣きしすぎて化粧が全部とれた!それを見たレジのお姉さま方が心配して寄ってきて、綺麗にお化粧して、慰めてくれた。本当に色々な人に助けてもらった。

また別のおばさんは、教師をしている娘が使っていたという参考書をたくさん私にくれた。そして、いつもいつも私のことを気にかけてくれた。本当に有り難かった。バイト生活も半年が過ぎ、私は本格的に受験勉強する為、バイトを辞めた。

毎日、自宅で勉強、頼るは自分のみ。今、思えばよくやったなーと思う。諦めきれなかったのと、ひくにひけなくなっていたのだと思う。全て自己流で勉強し、向かえたセンター試験、出来たような出来なかったような、、、。自己採点の結果、まあまあかな。とりあえず、二次試験!その頃、受験に対する知識がろくになかった私は教師=教育学部と考えていた。他の学部からという選択肢が頭の中に全くなかった。情報格差とは本当に恐ろしいものである(笑)
元々、教育学部は募集定員が非常に少ないので自ら落ちに行っているようなものである。

合格発表当日、両親は私一人を家に残し仕事へ、、、
「こんなのってあるー、ひどくない!」と思うも
その裏には涙涙の親の事情がありました。
私は仏壇の前にいました。残すは神様、仏様頼みと思ったから。「神様、仏様、どうかお願いします!私の夢を叶えて下さい!」頭を下げ続けた。結局、私と心配して見に来てくれた近所に住む大好きなおばあちゃんとで合格発表を待った。「○○を大学に入れてやりたいねー、入れてやりたいねー」おばあちゃんは何度もそう言った。
郵便屋さんのバイクの音、合格発表の手紙が届いた。

手紙を見る手が震えた。
不合格、、、私の夢は叶わなかった。
神様はいない、、、明日から何に向かって生きればいいんだろう。その時は、数年後に奇跡が起きるなど知る由もなかった。

毎朝3キロの道のりを走ってバイトに向かう女現る!

皆さん、こんばんは!
今日もブログを読んで下さり、本当に有難うございます。これまでの人生が濃厚過ぎて、ブログのテーマに困ることはないのですが、まだまだ至らない点が多いと思います。あれこれ試行錯誤する中で、皆さんが元気になったり、勇気を出して一歩踏み出せるような内容にしていきたいと思いますので、引き続き宜しくお願いします🎵

ちなみに昨日は過去最高(と言ってもまだブログを始めて5日目なのですが)のアクセス数を記録しました!
皆さん応援有難うございます✨

前回は初めて大きな挫折を味わった高校時代のお話でした。家庭の事情で2つの国立大学のみ受験した私は
プレッシャーに勝てず、受験に失敗。大学に進学して教師になることしか考えおらず、担任にこれからどうするんだと聞かれ目の前が真っ暗になった。

同じように国立大学に落ちた生徒は何人もいたが、
ほとんどの生徒は滑り止めの私立大学があり、そちらに入学することになった。また最初から私立大学だけを受験し入学する生徒もいた。そのような同級生達が本当に羨ましかった。そして、自分よりも明らかに勉強していない同級生達が大学に行くのが本当に本当に悔してたまらなかった。お金があれば夢も叶えられたのにな、、、今思えばおおげさだが、人生終わったと思った。

それから数日後、どうしても夢を諦められない私は
あることを考えた。一年、バイトしながら自宅浪人をして、もう一度だけ受験しよう!
両親も相当落ち込んだ娘を見て、バイトしながらを条件に渋々了承。私は、かろうじて首の皮一枚で夢につながった。

とりあえず、バイトをしなければ!
とはいえ、どのようにして探せばよいか分からず
お店に貼ってあるバイト募集の紙や同級生からの情報でバイト先を見つけた。

初めてのバイトは中華料理店のウエイトレス、中国人の料理人とお店に二人きりになった時は、めちゃくちゃこわかった(汗)
次はスーパーのレジを半年程した。車の免許を取得していなかった私はバイトに向かう為、毎朝最寄りのバス停までの三キロの道のりを全速力で走った!歩いてもいいのだが、結局時間に間に合わなくなり走ることになるのだ。なんだあの女?道行く人は皆、そう思ったことだろう(笑)

そんな日々が何日か過ぎた頃、走っている私の傍らに一台の車が止まった。「毎日、大変だねー。良かったら乗ってきなさい。」女神に見えた✨近所のおばさんが。それからほぼ毎日声をかけてくれ、送ってくれた。「絶対ビッグになって、この人に恩返しする!」
私は心に強く誓った。恩人との出会い、今の私がいるのは、そういった方々のお陰である。

目の前って本当に真っ暗になるんだと知った日

皆さん、こんばんは!
今日もブログを読んで下さり本当に有難うございます。不馴れなもので、色々と四苦八苦しておりますが
読んで下さる皆さんのお陰で頑張れています☺

前回から、初めて大きな挫折を味わう高校時代のお話をしています。なぜか元気になるブログ!なのに
今日は何だか重いテーマで始まりましたが、今回語る内容が今の私のしつこさと情熱の原点になっているのです。(笑)では、はじまりはじまりー

村に唯一、全生徒数150人の中学で自分らしさを存分に発揮していた私は、高校に入学し、いきなり生徒数1000人且つ優秀な集団の中で一気に目立たなくなり、地味な存在になってしまった。
成績も振るわず、学校に行きたくない、、、と思うようになっていったが、同じ中学から入学した同級生の女子三人のお陰で何とか頑張れていた。

高校3年、進路を確定しなければいけない時期、家庭の経済状況や直接は言われないが、両親の就職して欲しいという心のうちを何となく感じつつも、私は大学進学を選んだ。しかし、両親からは県内に唯一の国立大大学か隣の県にある国立大学の2つだけしか受験させられないこと、うちを他の家庭と同じく考えてはいけないことを言われた。

私が入学した高校は大学センター試験の当日に何かあるといけないので、必ず試験会場近くのホテルに前泊した。その費用や、大学受験料、その支払いだけでも
両親にはかなりの負担であったと思う。

センター試験、色々なプレッシャーや不安に勝てず
いまいちの成績。でも私は2つの国立大学しか受験しないと両親に約束した。合格の可能性が低い中、二次試験を受験。不合格通知しか来なかった。担任の先生との面談。これからどうするんだと言われて、大学に入学して教師になることしか考えていなかった私は
目の前が真っ暗になった。本当に真っ暗で、人はかなりのショックを受けると本当に目の前が真っ暗になることを知った。
これからどうすればいいんだろう、、、
18歳の私は途方にくれた。

しかし、ここで諦めないのが私、あることを思いついた!

次回からは私の真骨頂、高校卒業後のお話です。
ブログを読んでいらっしゃる方で同じような経験、
まさに今同じような境遇にいらっしゃる方は
是非コメントください。一緒に未知の可能性に挑戦しましょう✨

夢と現実の狭間で

皆さん、こんばんは!
今日もブログを読んでくれて有難うございます♪
アクセスして下さる方がいることが分かり、ブログを書くのが楽しみになってきました。

ブログを通して、様々な方と繋がっていきたいと思っていますので引き続き宜しくお願いします。

このブログでは私のこれまでの失敗や挫折、更にこれから起業しようと壁にぶつかりまくり、劣等感にさいなまれながら取り組んでいる姿を包み隠さずお伝えすることで皆さんに元気と希望を
そして、何よりあなたが出来るなら私にも出来るはず!と思っていただきたく始めています。

前回は私の辿ってきた道、中学時代をお伝えしましたが、今回は私の人生のまさに分岐点となった
高校時代についてお話したいと思います。

中学時代、大好きな先生との出会いにより、ただただ褒められたくてひたすら勉強したお陰でどんどん成績が良くなっていった。
人前に出ることに快感を覚える性格も功を奏し
大充実の勢いのまま、私は県内でもかなり進学に
力を入れている高校に入学。
が、ここで大誤算発生!!まず、数学の先生が大嫌い過ぎて成績ががた落ち、更に片道1時間以上のバス通学で毎日乗り物酔い、村に唯一の中学、全生徒数150人の中でリーダーシップをとっていた私が同じことを続けて全生徒数1000人の中で頭角を表せる訳がないことに気づくのが遅かった😱

それでも何とかしようともがいていた。
学校に行きたくない、、、あの自信はどこに?
全く地味な存在になってしまった

一方、両親は農家の他に冬は土木作業員、農協の手伝いをして一生懸命頑張ってくれたが、それでも高校の制服、辞書、教科書、毎月の定期代を捻出するのが
本当に苦しい状況だったと思う。
それを感じていながらも教師になる為、大学に行きたいと思う自分、思うように輝けない自分、私はどんどん自信を失っていった。