なぜか元気になるブログ

人生の瀕死状態から何度も復活、ついには起業を目指す女子の奮闘記

働きながら学ぶことに迷っている方へ!never、never、giveup!!

皆さん、こんばんは☆★
数あるブログの中から、こちらを選んでくださり、本当に有難うございます!1週間前に現在在学中の大学院の前期の講義が終盤に差し掛かり、プレゼンとレポートに追い立てられているとお話しました。
プレゼンなんぞは仕事の分も合わせ、3週間で7回せねばならず、それにレポート作成と、もはやリポDを毎日飲んでも足りないくらいです!

ですが、お陰様で本日無事6回目のプレゼンが終了、あと1回を残すのみとなりました。
これをやりきったらランナーズハイどころか見えないものまで見えるくらいの新境地に達しそうな予感さえする今日この頃です(笑)

キツい毎日も大学院で出会った素晴らしい仲間、教授陣に支えられ、ひとつひとつ終える度に充実感と
自分なりの成長を実感しています。

今回からは、働きながら大学に進学することになった私が大学で学ぶことの素晴らしさを実感した反面、
入学に際してや在学中に困ったことに対して
どのようにしぶとく対処し、ストレートで卒業したかを2回に分けてお話したいと思います。
それでは、はじまり、はじまりー

まず、入学までに私が行ったこと!

①情報不足に対して
働きながら学ぶという発想がなかった
→書籍やネットで社会人大学を徹底的に調べた。
その中で、自身が何をするために大学に入学するのか
具体的に考えた。
私の場合は、勤務先の病院で入院費に関する相談を受けることが増えていたことと、経済的な理由で夢を一度諦めていたこともあったので、社会福祉を学ぶことにした。また、ただ単に大学を卒業するだけではなく、国家資格である社会福祉士(社会的弱者への相談業務等行う)の資格取得を目指した。

②経済的負担
4年で100万円の出費への不安
→経済的問題への対応が非常に重要だと思います!
私の場合、約10年前の価格だが、学費年額10万、科目試験一回5000円、スクーリング一科目15000円程であった。スクーリングの交通費、宿泊代等含めると4年で100万程かかったが、1年では25万、1ヶ月では約2万の出費なので、余計な物を買わないようにして学費を捻出した。
また今はお金がかかるが、先行投資であり、卒業後はすぐにペイ出来るよう自身のキャリアup戦略を考えていたので負担ではあったが前向きに対処出来た。
実際、この100万は大学卒業後、資格取得、転職することで何と半年でもとをとることが出来た☆★

どのように成し遂げたのか!
続きは次回またお話します!
お楽しみに🎵

いざ、大学進学!でもこんなことで困ったり、悩んだりしました、、、

皆さん、こんばんは☆★
本日もブログを読んでくださり、本当に有難うございます!現在在学中である大学院の前期の講義が終盤に差し掛かり、プレゼンとレポートに追い立てられている今日この頃です(-_-;)
その為、ブログを一週間も休んでしまいました、、、
本日からは、また再開したいと思いますので
引き続き、どうぞ宜しくお願いします。


今回は、働きながら大学に進学することになった私が
大学で学ぶことの素晴らしさを実感した反面、
入学に際してや在学中に困ったこと悩んだことを書いてみたいと思います。それらは、私が起業しようと決意したきっかけでもあります。
それでは、はじまり、はじまりー


いざ、働きながら大学へと決意し進学した私ですが入学までや在学中に以下のことで困ったり悩んだりしました。大きく分けて4つ!

①情報不足
働きながら学ぶという発想がなかった
どの大学、進路を選べば良いのか分からなかった

②経済的負担
4年で100万円の出費への不安
スクーリングの交通費、宿泊代

③相談相手、仲間
職場への報告、上司の理解
精神的な支えの存在
励まし合える仲間の存在

④キャリアアップ
卒業後、どのような進路選択をするのか

これらを周囲の協力により、何とかクリアし
卒業した私ですが、同じ境遇にいる方々や、自分の後に続く方々の為に、何かしたいと起業を決意しました。
次回は、実際私がどのようにクリアしていったのかについて書いてみたいと思います。
お楽しみに!

働きながら大学へGO!!

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んで下さり本当に有難うございます!今日の東京は久々に気温が上がりましたが、
相変わらず、どんより曇り空です。
寒かったり、暑かったり、とにかく体調崩さないように皆さんも気をつけて下さいね☺

前回は、運命的な出会いによって人生の大きな決断をし、ついに大学入学を決意したお話でした。
今回からは、実際に働きながら大学で学んだことで感じた様々な点についてお話したいと思います。

今、現在、経済的な理由含め、何らかの理由で大学進学を迷っている方、諦めてしまった方がいらっしゃれば是非参考にしていただきたいし、コメントも是非是非宜しくお願いします!それでは、はじまり、はじまりー🌠

想像もつかない展開で、10年超しの夢だった大学に入学出来た私は、人生に対する希望で満ち溢れていた。
人生、諦めなければ報われる!神様は絶対に見てくれているのだ!と思った。
私は元々青森出身であった為、大学はスクーリング等に通いやすい仙台の大学を選んだ。また、ただただ大学を卒業しては意味がないと思い、国家資格である
社会福祉士を取得する為、社会福祉学部を選んだ。
学費は年額10万円、テキストで学んだことをレポート作成して提出。単位取得の為には科目試験を青森県内の会場で受験した。

スクーリングも定期的にあり、私はそれが一番好きだった!同期の社会人大学生との学びは勉強になることばかりで友人もたくさん出来た。

諦めていた夢に向かってエンジンが再びかかりはじめた!

人生の決断

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んで下さり、本当に有難うございます!私は通学中の大学院の前期講義が終盤を迎え、
プレゼン・レポート地獄に苦しんでおります😱
明日は大学院でプレゼン、明後日は職場でプレゼン、その次の日は大学院でプレゼン、翌日から大学院、仕事→大学院、飲み会、仕事→大学院で一週間が終わるという💧💧本当、自分で選んだ道とはいえ、恐ろしいスケジュールですね(笑)
来月の自分が、どうなっているのか全く想像がつきません、、、
そういった中でも、何とかブログは更新していきたいと思いますので、引き続き応援宜しくお願いします☺


前回は、10年越しの願いを叶えるべく、大学入学を決意したお話でした。決意は、したものの、4年間仕事をしながら本当に大学の勉強を続けられるのか、100万円という金額をかけてまでの価値があるのかなど、あれこれ悩み、私は入学手続きをギリギリまで出来ずにいました。しかし、神様は私に希望の光を与えてくれました✨今日は、そのお話です。


大学に入学すべきかどうか、決めなきゃいけないのに
決められない私は期限が数日後に迫ったある日、運命的な出会いをした。
その人を見た瞬間、生まれて初めて男とか女とかではなく、人間として本当に魅力的な人だと思った。
それまで、皆が進む、ごくスタンダードなライフコースから外れてしまうことに不安を感じていた私は
人生の回り道をしながら、様々な経験をし、内側から輝き出す、その人を目の前にして本気で「この人みたいになりたい!」と思った。
そして、一瞬で大学に入ろうと決めた!あれだけ迷いながらも次の日には入学手続きを済ませた。
人生とは本当に不思議なものである。
本気で願い、どんなに上手くいかずとも、諦めなければ最後の最後の本当に最後、瀕死状態になったとき
必ず神様が希望の光を与えてくれるのだと思った。


諦めなければ、夢は叶うと実感して私は水を得た魚のごとく生き返った‼モノクロの世界がカラーになったように日常の全てが楽しくて仕方なかった。
大学の勉強で忙しく、疲れているはずなのに仕事
上でも様々な切り口で物事を考えられるようになり、アイデアが溢れて止まらなかった。


人生の大きな決断、運命的な出会いに支えられ
また新たなステージに進むことが出来た
その人に出会えたから、今の自分がいる
これからも、苦しく余裕がない時こそ、感謝の気持ちを忘れず生きていきたい!

10年の時を超え、叶った願い

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んでくださり、本当に有難うございます!今日でブログを始め、12日になります。今後も頑張っていきますので引き続き、応援宜しくお願いします。
 

前回は、勉強も運動も出来て、絶対に将来有望だと思っていた同級生の死により人生の転帰を迎えた私がこれからの人生をただただ生きるのではなく、その人にもあったであろう未来の可能性に決して諦めることなく挑戦し続けると決めたお話でした。

 

それにより、「そういえば私、大学に入りたかったじゃないか!教師になりたかったじゃないか!」と一度諦めた夢に再び挑戦することを決意した私に、「待ってました!!」というように全てが絶妙なタイミングで完璧に回りはじめた。 人生の長い長い、暗い暗いトンネルの中にいて、瀕死状態にあった私に恐いものはなかった。

 

私は働きながら学べば、夢も叶えられるし、両親にも負担をかけないだろうと考えた。その為、通信制の大学に入学しようと決めた。とはいえ、通信制の大学はどこにどのくらいあるのか、学部は何を選べばいいのか、学費はいくらなのか、全く分からなかった。とりあえず本屋に行き、通信制大学に関する本を買い、研究した。ただただ4年生大学を卒業しても意味がない、経済的に困難な状況を切り抜けてきた私は、その経験を活かせる社会福祉士(国家資格)も同時に取得しようと考えた。また、スクーリングの回数や学費等についても色々と検討した。

 

何より、学費のことが一番気になった。学費は1年で10万円だが、スクーリングの際の受講料、交通費、宿泊代等を含めると4年で約100万円かかることになる。そもそも仕事をしながら4年という長い歳月を乗り越えることが出来るのか、その保証もないのに、、、考えれば考えるほど、ビビってきた。石橋を叩いても渡らない状態を続け3月31日の入学手続きのしめきりにも関わらずギリギリまで決められずにいた。

 

そんな私にまたしても神様が希望の光を与えてくれたのである!!

 

続きは次回!お楽しみに☆★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長いトンネル、その先に差していたのは希望の光でした

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んでくださり、本当に有難うございます!最近の東京は、どんより曇り空が続き涼しいというか寒いくらいですが、同じ日本でも猛暑の地域もあり、本当に最近の異常気象は深刻な状況になっているなと感じます。
皆さんも体調崩さないようにして下さいね!


前回は、なんだかんだありつつも無事希望の病院に就職した私が、様々なことに片っ端から挑戦し入職6年で晴れて主任になるお話でした。

私は主任になった途端、あらゆる方向からのプレッシャーとダメな自分に毎日向き合わされ、徐々にバランスを失っていった。
これまでの自信が嘘のように無くなっていった。
終いには私のネガティブオーラにより、普段壊れないものが壊れていった。コピー機、自動ドア、シャッターなどなど(笑)

私は主任になって一年で、他の部署に異動を命じられた。誰もいない時間、引き出し一つ分の荷物を持ち
異動先への引っ越し。情けなくて、情けなくて、これからどうすればいいのか全く分からなかった。
ただ、家庭の事情を考えれば何としても仕事を辞めるわけにはいかなかった。今思えば、それだけで何とか気持ちを繋ぎ止めていたのだと思う。

その後、約3年間先の見えない暗いトンネル生活が続いた何もかも上手くいかなかった。毎日求人広告を見ては給料の良かったドコモショップで働こうかと本気で思った。

そんな中、私に転機が訪れる。同級生の死、勉強も運動も出来て、絶対に将来有望だと思っていた人だった。本当にショックだった。
自分が、その人の為に出来ることは何なのかずっと考えた。そして私は、その人の分も生きる!ただただ生きるのではなく、その人にもあったであろう未来の可能性に決して諦めることなく挑戦し続けると決めた。

そして、ふと思ったのである「そういえば私、大学に入りたかったじゃないか!教師になりたかったじゃないか!」と

一度夢を諦めたあの日から10年の月日が流れていた。
私は、その夢に再び挑戦することを決意した。
そこから、待ってました!!というように
全てが絶妙なタイミングで完璧に回りはじめた。
瀕死状態の私は、長い長いトンネルの先に希望の光を見いだしたのである。

とにかく何でもやってみる!経験は人生の宝なりけり

皆さん、こんばんは☆★
今日もブログを読んでくださり、本当に有難うございます。本日でブログ開始から10日が経ちました。
毎日、色々なことがあり「今日は休みたいな、、、」
と正直思ってしまうこともありますが、可能な限り
日々更新していきたいと思いますので応援宜しくお願いします!


前回は、一目惚れした病院に二度目の挑戦でやっとこさ採用となり、晴れて社会人の仲間入りをしたお話でした。元々、教師になりたかった私ですが、この時は
もう大学に入ることなどないだろうと諦めていましたし、ましてや今まさにですが大学院に通うチャンスが訪れるなど夢にも思っていませんでした。
ですので、一度や二度の失敗、挫折で腐る必要は
ありません☺どこから夢の実現につながる道がひらかれるか分からないからです!(と自分にいつも強くいい聞かせています(笑))


どうしても働きたかった職場に就職した私は、絶対に見返してやる!!と思い、やってみないかと言われたものには何にでも挑戦した。資格試験、学会の論文発表、電話応対コンクール、互助会会長、忘年会の余興、忘年会の司会、上司のカラオケの相手などなど
後半部分は特に率先してやっていた訳ですが(笑)
そのお陰で、当初私に向かって「○○君は、なんでも出来るけど、君はなー、無理だろーな」といい放ったドクターに「☆☆君、俺が見る目がなかった。君は本当に素晴らしい能力の持ち主だ」と涙ながらに言ってもらった時は本当に嬉しくて私も一緒に泣いた。


様々な経験の中でも、25歳の時に行った互助会の会長は起業を目指す自分にとっては、小さな小さな会社の社長になったようで、とても楽しく貴重な経験となった。年間1000万程の会費を使い、色々な行事を企画、実行していった。役員は私を入れて8人程。最初はどのように動かしていけば良いか迷ったが、前年に会計担当をしており、お金の流れを把握していたことが非常に役に立った。更に役員それぞれが得意分野を持っていたので、それを生かしながら、お互いが存在価値を認め合えるチーム作りが出来たことが良い経験であった。今でも役員の皆に感謝、感謝である。


互助会での働き等も認められ、私は入職6年目、26歳の時に主任になった。この時は波に乗りまくっていて
毎日本当に楽しかったのだが、、、
主任になってからの日々が辛かったこと
自分自身の弱さと毎日向き合わされ、まだ若かった私は人生の長い長いトンネルに入ってしまったのである。